フリスビー・入門用(フリスビー・1975〜1980頃使用)


片田舎の、とあるスポーツ用品店で、そのオレンジ色の「空飛ぶ円盤」は
わたしによって発見されたのだった。

そのシェイプは空力学的に完璧であり、その完璧さがそのモノの存在感を
誇示していているようにも見える。

などとは、当時のわたしが考えるわけもなく、ただただその鮮やかなオレンジ色に
心を奪われていたのである。

いや、やはりそれだけではなかった。
その継ぎ目のない、一体成型された化学物質。
全くまじめに見える平面と、悩ましい曲線で構成された滑らかなボディー。
そして、その表面に浮き出ているレター(文字)の面白さ。
そして何より、それは空を飛ぶのである。

当時800円だったと思う。
800円で、未知の空飛ぶ物体が手に入るのである。
それはまるで、奇跡のようなことだった。

急いで家に帰って、いかにもアメリカンっぽいビニールのパッケージを破り取り出す。
思った通り、それは滑らかであり、全く未知の手触りだった。

子供の頃は、(今も大抵そうであるが)説明書などは面倒臭くて読まないのである。
とりあえず、使ってみてコツを掴めば良いのだ。
それこそ、モノを扱う醍醐味であると言えるだろう。

フリスビーをうまく飛ばすポイントは、スナップに尽きる。
いかにそれに回転を与えるか?いかにそれを水平にリリースするか?である。
さらに言えば、まっすぐ飛ばすとか、カーブをかけるとか、回ったままのディスクを指で受けるとか、
意のままに操るという意味でその奥は異常に深いのである。
扱いが決して簡単ではないのだ。
そして、それが魅力でもある。

わたしのまわりには、フリスビーを持っているヤツはいなかった。
買おうにも売っていないのである。
わたしのフリスビーは、スポーツ用品店のオヤジが、義理で唯一入れたお試し品だったのだろうか?

というわけで、わたしのフリスビーは多くの友人たちの人気モノであったのだ。

小学校のグラウンドや、大きな公園でやるのが最高であったが、
そうも行かないときはせまいアスファルトの路地で遊んだ。
股の間でとか、腕を頭の後ろ側からまわしてとか、とにかく窮屈な格好でキャッチすることを楽しんだ。
同様に、いかに変な格好でリリースするか?も重要であった。

ライバルに勝つためには(いかにうまくリリースしキャッチするかという意味において)、
たかが遊びとはいえ本気で努力していたのだろう。

当時はそういった遊びが多かったように思う。
当時の遊びというのは、自分に試練を与え、それを克服することに喜びを感じていた。
ある意味、マゾヒスティックな喜びである。

それは、スポコンアニメの影響だったのか?それとも、そういう時代だったためか?

いずれにしても、それが我々の過ごした少年時代の端的な姿である。

高度成長期における技術革新文化とは相反する、不自由な文化。
そういった時代に育まれた我々が、大人になってクラシカルなモノに惹かれるのは当然の帰結であろう。

フリスビーは、空力学的に洗練された美しい姿を現している。
しかし、わたしのフリスビーは酷使され、エッジがギザギザになってしまった。

この手触りと扱いの不自由さにおいて、フリスビーの本質はクラシカルである。

だから、今でもフリスビーはわたしにとって新鮮であるのだ。(了)



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