スケートボード(メーカー不明、1978〜79年頃使用)


スピードの快感。その魅力とは、いったい何なのだろう。

わたしは、ある日スケートボードというものを手に入れた。
もちろんそれは、すでにスケボーを所有して遊んでいた悪友たちの、いつものような唆しによってである。

白い真っ平らなFRPのボード(長さ約50cmくらいか?)に、実際に乗る部分の表面は
薄緑色のザラザラしたノンスリップシート(デッキテープとは違う)が一面に張り付けられている。
直付けされた鉄のトラックの支柱には半透明の、これまた緑色の
合成ゴムのショックアブソーバーがまとわりつき、そしてベアリングを介して、
これまた半透明でオレンジ色をした合成ゴムの車輪が取り付けられていた。

このいかにもアメリカンテーストあふれるモノ(笑)は、当時24,000円もした。
今買えば、たぶんディスカウントショップで数千円で手に入れられるクオリティーであろう。

しかし、当時のそれは、高価なその金額を出しても余りあるほどの価値があった。
それほど、そのスケボーは新しいモノであったのだ。

わたしが手に入れたスケボーは、テールがアップしていなかった。
前輪をアップさせるようなトリッキーなプレイは憧れであったのだが、
そうしようとすると必ずボードの尻を擦るのだ。

スラロームをするためには、サスのセッティングを柔らかくする必要がある。
そうなると、高速安定性が不足するのは道理である。
我々の方向性が、高速安定性を求める方面に向かったのは必然であった。

なぜなら、我々はすでにスピードの味を自転車によって占めていた、スピードジャンキーであったからである。

我々の主なプレイングフィールドは、山の斜面を切り崩した宅地造成地であった。
道路だけが先に完成していたその広大なスペースは、まさにスピード系スケートボーダーにとっては
パラダイスであった。

暇な時間ができると、我々は山の中腹にあるそのパラダイスまで、自転車で急な坂道を登って通ったものだ。


だらだらと長いまっすぐな道を、まるでスキーの滑走のように滑り降りる。
そして、我々が好きだったのは、その直線から直角に曲がっていくコーナーであった。

明らかに本場LAとは、その方向性も目的も違っていたのであるが、そこには確かにLAの風が吹いていた。
確かに我々はそう感じていたのだ。

ある日、わたしはそのパラダイスに、ただ一人で佇んでいた。
頭にはプラスティック製の青い簡易ヘルメットをかぶり、膝と肘には、これまたプラスティック製の
プロテクターを着けて。
わたし自身の美意識は、「この格好を友人たち見せるわけにはいかない」という解答を出していたからだ。

何故にそのような格好でその場にいたのか?それはもちろん、自分の記録に挑戦するためであった。
長い直線から直角コーナーをきれいにクリアすること。
それが我々の唯一の美徳であり、そしてコーナーに入るまでの直線距離が、自分自身の記録であったのだ。

コーナーの基本はアウトインアウト。
「サーキットの狼」世代の我々にとっては当然のことである。
ただ一つ車と違っていたのは、スケボーにはブレーキがなかったのである。

わたしは、道路に刻んであったライン、すなわちこれまでの記録から、さらに数メートル後ろに
スタートラインを設定した。滑らかに滑りながら、スピードは上がっていく。
そして、完璧なライン取りでコーナーに入る。
しかし…。

その瞬間のことはよく覚えていない。
明らかにオーバースピードでコーナーに入ったわたしは、コーナーを曲がりきれず
路肩のブロックに弾かれ空を飛んだ。

いったいどのくらい目を閉じていたのだろう?
目を開けると、そこにはまぶしくて青い青い青空が広がっていた。
わたしはそのとき、確かにLAの風を感じていたのだ。

普通、オーバースピードでコーナーに入った場合、危機感を覚えると同時に本能的に飛び降りるのだろうが、
そのときは記録を更新するための強い意志が本能に勝っていたのだろう。

そう、大切な事を一つ忘れていた。
コーナーの基本はもう一つある。スローイン・ファストアウトだ。
わたしは、見事にファストイン・モアファストアウトをやってしまったのだ。

いやに冷静に、そんなどうでもいいことをいろいろ考えながら、かなりの時間青空を見ていたように思う。
そして、のろのろと起きあがろうとした瞬間、右腕が痺れて全く動かないことに気付いた。
それは、これまでに感じたことのない不思議な感覚だった。

痺れた右腕にスケボーを抱え、いつもは自転車で気持ちよく下り降りる急な坂道を、
このときは自転車を降りて、ブレーキをかけながらゆっくりゆっくりと降りてゆく。

そのときわたしは、確かに感じていた。
心地よい敗北感を、確かに。

ところがその後、わたしの大切な利き腕である右手は、手首のところで見事に骨折していることが判明した。

テニス部で活躍していたわたしには、それは絶望的な宣告であった。

それ以来、二度とスケボーに乗ることはなかった。

それでも、ふつふつと沸き上がるスピード感への憧れは決して消えることはなかった。

そして、あの心地よい敗北感とそのスピードへの欲求は、互いにミックスし、形を変えながら、
その後のわたしのライフスタイルに影響を与え続けたのであった。

石膏のギプスの堅さとともに、苦く残るあの感覚。
あの右手の痺れた感覚。

スケートボードは、死ぬまでわたしの右手首の中に生き続ける。

しかし、それはそれでよしとしよう。
なぜなら、それもわたしの生き様の一部に間違いないのだから

1998年冬(了)



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